2016年3月27日日曜日

「アーティスト」という仕事について今の私が思うこと。(3)

少し日が空いてしまいました。
「アーティスト」という仕事は何か。仕事というものはまず何か。
自己実現なのかお金を稼ぐための道具なのか、色々な考え方があると思います。

「アーティスト」というと"社会の決まりごとに左右されない"、"いつまでたっても大人になりきれない"そんな束縛のないイメージがあるかもしれません。

でも生きてる限り縛られないことなんてないと思います。言い換えると仕事には制約が必ずあります。そこが醍醐味なのだと思います。

いろんな仕事があるように、仕事の仕方があります。そしてアーティストも色々なアーティストがいます。私は「アーティスト」を職業とすることにおいて前々回から書いている上司が発した言葉に大変共感と願望を抱く仕事の像があります。

あるご飯の席で「アーティストというと、自由という側面でみられ社会的に未発達な人とみられる事が多いように周りの方々の意見を聞いて思うんです」と私がこぼした時の話です。

「それは偏見であって、その偏見はどんな仕事にも見られるものだ。だからこそ、アーティストである椎木さんが言うのはどうかな。自分がそういう偏見を持たれたくないのなら自分がそう思う事はない。アーティストを尊敬する人だっている。自分の表現を社会で発表することで世の中を良くしていく力を持っていると、思ってくれている人だっている。」

そんな返答をいただきました。上司は本物のアーティストを知っているんだなと思いました。

そうなんです。それが私の抱くアーティストという仕事の像です。
私は絵を描いたり何かで表現することで社会に貢献してお金をいただいて生きていきたいです。そしてそのお金でまた作っていきたい。そういうシンプルな気持ちです。
私が作るものに価値はあり、その価値を押し付けではなく伝わるようにする努力は自分次第です。作品に投影されるのは自分という人生の成長、一瞬一瞬です。

私は絵が描くことが好きで、辛い時いつも支えられてきました。
だからこそ、仕事にするのは躊躇していました。
でも今は違います。
ずっと追いかけてた絵が今はどんどん自分に近づいてきてくれているのを感じます。
自分だけのものではなくて誰かを幸せにできるものに作り上げていきたいです。
私はアーティストを仕事にしたいです。

ずっと作り続けていきたいです。
本物の表現は人の心を幸せにします。そして社会をすこしづつ変えていきます。
必要なことです。それを絶対的に信じています。


これが2016年3月の春、私が思うことです。


2016年3月17日木曜日

「アーティスト」という仕事について今の私が思うこと。(2)

前回の続きで目が覚めた私はとにかく展示をしまくりました。
東京、大阪、名古屋も。いつのまにか応援してくれる人のおかげでとても幸せな時間があっという間にすぎた。名前を挙げたらきりがないくらい、いい人がいっぱいいる。
そしてありがたいことに前に比べて仕事のご依頼が増えた。このままいけるか、いけるか。

でもそんなうまくいくことはない。なんでかっていうと私がややこしい人間だからだ。
ふと、思ってしまうのだ、いつも。この絵は私なのか?私はこの絵なのか?
割り切れない、仕事なのに、割り切れない、スマートにいかない、、、ごまかせない。うまいことやれない。


2年たってまた悩みの季節がやってくる。悩みたいわけじゃなくて違和感をごまかせないのかもしれない。

「いろいろダメすぎて一回ちゃんとしたい」とだだこねていたら またも言われる。
「そういう人が何かを生み出せる人だから完璧なんて目指すことはないのでは?」と。
いつも不注意を叱られているのに、こんなときだけそういうのか…と思ったけど、よく考えたら腑に落ちる。その人はここで働いている椎木彩子じゃなくて、アーティストとして話をしている。

どうでもいいことに胸を痛めたり、感動したりしてしまうから何かが生まれる。理屈じゃないものを具現化して日常に提示することは本当に必要なのだ。


でもようやく気がついたことがある。

「私がやりたかったことはコレなのか?」「好きなことを仕事にするのは難しい」
では ないんだ。この2つは本当は私がちゃんと立っていれば悩む必要がないことなんだ。

作品は私で、私は作品だ。その二つが寄り添ったり離れたりして成長していく。
作品がしっかりしていれば プライドはそこにかけられるし、私がしっかりしていれば つまらないようなことにも 希望を見出せる。
自分次第だ。ということは、そう。私はこれからなんだ。

私はこれから自分の作品をもっと大きな社会で見せることができたらと思う。
そのためにはまだ作品が弱い。その課題から今度は目をそらさないで向き合う。
つまり自分自身のアーティストとしての芯がしっかりしなくちゃ作品も育たない。それさえのりこえたら、もうきっと死ぬまで無我夢中の人生を送れるような気がする。100パーセント素直でありたい。

(3)に続いてしまうのでした。
上司たちが「アーティスト」を大事に扱っているのはなぜなのかを4年たって知ることができる、「アーティスト」は仕事になりうる と思った、そういったお話の完結です。



2016年3月16日水曜日

「アーティスト」という仕事について今の私が思うこと。(1)

20代中盤に美術専門誌の表紙に書いてある言葉に目がとまった。
「アートを仕事にする!」
そういったコピーだった。

イラストレーターになってみようかな(甘い感じ)と思っていた私は、
「アートかぁ。アートを仕事にするって画家になるてこと?でも今時画家もなぁ。なんていうか、インスタレーションやテクノロジーを使ったり、あとは社会的メッセージだったり、そういうのがアートでしょ?見るのは好きだよ。自分で空間を作るなんて憧れるなぁ。でもさ、今更無理でしょう。」
といった感じだった。

けっこうキャリア浅いんだねって最近言われますが、私のイラストレーターのデビューの仕事は2012年6月で今年で4年です。イラストレーションの魅力や面白さは別の日記に書くけどとっても難しい仕事であることも本当です。

今、私がなりたいイラストレーター、画家像っていうのもだんだんはっきり見えてきてるんだけどもその話も別の日記に書きます。

アーティストってなんだろう?その言葉の中身の方を私はある人から教わった気がします。今日はその話を書きます。

私は某芸術支援施設で4年ほどアルバイトで働きました。
そこでは私の活動も支援してくれて本当に感謝しています。イラストレーターの4年はこの施設で働いたおかげで育まれた面がたくさんあります。
30歳のとき、少しばかりイラストレーションの賞をとったり勢いで台湾で個展したりして小さな仲間内で褒められることに舞い上がっていた私に今思えば小さなことなのだけど、挫折することがあってひどく落ち込んでいました。簡単にいっちゃえば人間が超きらいになってた。勤務先の上司が私をアーティストという仕事がどれだけ大変で尊いものかを教えてくれたというのが今回の話の核なのだけど、落ち込んだ私に言った一言にハッとさせられたのでした。

「しいきさんは、いい人であることばっかり守って作品をまもろうとしていない。作品が大事なら自分のプライドなんて捨てられるはずだ。ゴマをすれっていうことじゃなくてさ、例えば作品が世に認められるためにちょっと自分が我慢するくらい ってことなんだよ。特定の誰かにだけ見せる作品の形だってとることは自由だけど、そうじゃないならプライドは作品にもってもいいんじゃない?」

その言葉に私はガーーーーンとうちのめされるのでした。

それから2年たっていろいろあって。その上司にまた別のことを言われるときがくる。

続きはまた後日(って誰も読んでないような日記なんだけどさ)

2016年3月14日月曜日

「陽日」(ヒビ)のお知らせ

陽日 -ひび-

2016年4月16日(土)〜5月1日(日)
アカセユキ 椎木彩子 yuki akase & saiko shiiki
The joint exhibition of photographer and painter


幼なじみである写真家のアカセユキと、画家の椎木彩子の初の二人展。
陽の光の中、愛する友人たちを撮影し絵を描きました。


【登場人物】
RR 西村夫婦(東京の三大いい人) / ŒUVRE 田口夫婦(大好きな花屋) / 岡田家(溢れる愛) / Hello Hawk(インディロックバンド) / 桃ちゃんと旬平(同級生とその息子) / LIP 離譜(日本と台湾を繋ぐふたり) / and more...? 


【場所】
RR-COFFEE TEA BEER BOOKS- 
〒155-0033 東京都世田谷区代田4-10-20 (京王井の頭線・新代田駅から徒歩30秒)
営業時間 11:00〜20:00 / 水曜定休
rrknnn.tumblr.com

※1Fにて「アカセと椎木の本棚展」を同時開催。そのほか期間中のイベントは、webにて随時をお知らせします。
※入場無料。ご来場の皆さまは1ドリンクオーダーお願いいたします。


2016年3月1日火曜日

情報と感覚

表現は自分の視界に広がる世界を具現化する側面があるので、世の中をよく知る必要がある。
感覚が鈍らないように情報摂取は程々に。
綺麗な花を歩いてる時みつけたらまず触ってみること。匂いを知ること。空気に耳をすませること。
そうしたあとに撮った写真、描いたスケッチには視覚以外のものがちゃんと染みついているはずだから。
そういうことを去年の夏から思っています。