2016年3月17日木曜日

「アーティスト」という仕事について今の私が思うこと。(2)

前回の続きで目が覚めた私はとにかく展示をしまくりました。
東京、大阪、名古屋も。いつのまにか応援してくれる人のおかげでとても幸せな時間があっという間にすぎた。名前を挙げたらきりがないくらい、いい人がいっぱいいる。
そしてありがたいことに前に比べて仕事のご依頼が増えた。このままいけるか、いけるか。

でもそんなうまくいくことはない。なんでかっていうと私がややこしい人間だからだ。
ふと、思ってしまうのだ、いつも。この絵は私なのか?私はこの絵なのか?
割り切れない、仕事なのに、割り切れない、スマートにいかない、、、ごまかせない。うまいことやれない。


2年たってまた悩みの季節がやってくる。悩みたいわけじゃなくて違和感をごまかせないのかもしれない。

「いろいろダメすぎて一回ちゃんとしたい」とだだこねていたら またも言われる。
「そういう人が何かを生み出せる人だから完璧なんて目指すことはないのでは?」と。
いつも不注意を叱られているのに、こんなときだけそういうのか…と思ったけど、よく考えたら腑に落ちる。その人はここで働いている椎木彩子じゃなくて、アーティストとして話をしている。

どうでもいいことに胸を痛めたり、感動したりしてしまうから何かが生まれる。理屈じゃないものを具現化して日常に提示することは本当に必要なのだ。


でもようやく気がついたことがある。

「私がやりたかったことはコレなのか?」「好きなことを仕事にするのは難しい」
では ないんだ。この2つは本当は私がちゃんと立っていれば悩む必要がないことなんだ。

作品は私で、私は作品だ。その二つが寄り添ったり離れたりして成長していく。
作品がしっかりしていれば プライドはそこにかけられるし、私がしっかりしていれば つまらないようなことにも 希望を見出せる。
自分次第だ。ということは、そう。私はこれからなんだ。

私はこれから自分の作品をもっと大きな社会で見せることができたらと思う。
そのためにはまだ作品が弱い。その課題から今度は目をそらさないで向き合う。
つまり自分自身のアーティストとしての芯がしっかりしなくちゃ作品も育たない。それさえのりこえたら、もうきっと死ぬまで無我夢中の人生を送れるような気がする。100パーセント素直でありたい。

(3)に続いてしまうのでした。
上司たちが「アーティスト」を大事に扱っているのはなぜなのかを4年たって知ることができる、「アーティスト」は仕事になりうる と思った、そういったお話の完結です。



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